南魚沼市塩沢に在る「鶴齢」醸造元、青木酒造の外観。
今回の訪問は首都圏では30年ぶりとも言われた記録的な大雪の日。
魚沼でもご覧のように雪が舞い、雪国慣れしていない佐野屋一行には大変な天候だったが、この季節でしか撮れない「新潟の酒蔵」らしい雪に覆われた写真を収めることができた。
ちなみに魚沼ではこれでも雪が少ないそうで、この年の積雪量は例年の半分以下だそうだ。
蔵の中では早朝から仕込み作業が始まっており、甑からは朝早くから蒸気がもうもうと立ち上がっていた。
蒸し上がりを迎え、手際良く蓋布を取り外す蔵人。
さあ、今日の仕込みがいよいよ始まる。
青木酒造の甑は最大1000kgの米を一度に蒸すことができる大型サイズだが、蒸した米は全量蔵人が手掘りで掘り出す。
この日も総量700kg近い量の米を掘ったそうだ。
掘り出した米は、隣に設置されている放冷機に素早く投入。
こちらの方が、鶴齢の酒造りを任されている今井 隆博杜氏。
「にいがたの名工」に表彰された、新保英博前杜氏の下で20年以上「鶴齢」の酒造りに携わっており、前杜氏に比肩する技術と良い酒へのこだわりを持っている人物だ。
仕込みの終盤に差し掛かると、シャベルで掘るのは困難になる。
そこでクレーンを使って甑の内布を吊り上げ、残りの米を放冷機に投入する。
今井杜氏が放冷機で種麹を振り付けた米は素早く麹室へ運ばれ、このように薄く広げられて目標の温度に調整される。
甑の全ての米を仕込み終えた後、すぐさま翌日の蒸しのための洗米作業が始まる。
写真は洗米機に米を投入するシーン。
青木酒造の洗米作業には、杜氏がストップウォッチを片手に指示を出す光景が見られない。
これは蔵人全員が時計を見て、何分後にどの米を上げるのか、指示を出さなくても全て把握できているからとのこと。
洗米作業だけでなく、全員が全ての作業を完全に理解しており、見事なチームワークで作業をこなしていく。
一朝一夕では到達できない、プロフェッショナルとしての高い知識とチームワーク。
これこそが鶴齢の酒造りの秘密ではないだろうか。
余計な水分が切れて、さらっとした手触りになった米を甑に投入する。
休憩時間の合間にお願いして、恒例のスタッフ集合写真を撮影。
するとどうだろう、今井杜氏を先頭に、見事なフォーメーションが即完成!
鶴齢のチームワークの良さは、ここにも現れている。
鶴齢の蔵元、青木貴史社長にお時間を作っていただき、しばしの歓談が実現。
江戸時代に書かれた「北越雪譜」全七巻が、蔵元に当時のまま現存していることを知り、驚く吾郎。
「北越雪譜」とは、越後魚沼の雪国の生活を描写した書籍で、越後の民俗、方言、地理、産業を知る貴重な史料として知られている。
こちらは渋沢栄一が青木酒造の当時の蔵元にあてた手紙。
渋沢栄一は、幕末から昭和初期にかけて活躍した実業家で、第一国立銀行(現みずほ銀行)や東京証券取引所、東京海上火災保険、キリンビールなど多種多様な企業の設立に関わった「日本資本主義の父」と評される人物。
また、蔵には渋沢栄一の作による書額も送られており、青木酒造と深い親交があったことを物語っている。
青木酒造の看板の前で、青木社長と固い握手。
佐野屋が鶴齢の新規お取り引きを申し込むため、初めて蔵に訪問したのは2010年。青木社長とはおよそ4年ぶりの再会が実現した。
青木社長はこの後、スキーハープパイプの小野塚選手の応援にソチへ向かう予定が入っており、忙しい中快く今回の取材に応じていただきました。
青木酒造の創業は享保2年(1712年)。
およそ300年の時を歩んで来た建物は、柱1本に至るまで歴史の重みが染み込んでいるかのよう。
今回蔵訪問に訪れたのは2月ということもあり、ひな人形の展示も行なわれていた。
ご覧の「享保びな」は、鶴齢の創業期である享保年間に流行したひな人形で、大型かつ豪華であることが特徴。
当時、幕府から贅沢すぎるとの理由で取り締まりを受けることもあったそうだ。
酒蔵が軒を連ねる三国街道は「牧之通り」の愛称で呼ばれており、家々の前には「雁木造り(がんぎづくり)」と呼ばれる雪よけの屋根が伸びている。
かつて新潟の冬は、降り積もる雪と屋根から投げ下ろされた雪で道路が埋まり、人々の往来が困難になった。
そこで生活道路を確保する目的で「雁木造り」と呼ばれる雪よけの屋根が考案された。
店主も蔵の外に出て、新潟の冬を身をもって体験!
屋根のないところに1歩出るとご覧のとおり、足下は雪に埋まり、容赦なく雪が全身に吹き付けてきた。
撮影時間は1分かからなかったが、頭や肩にはうっすら雪が積もっていた。寒い!!
身体を張った一通りの取材を終え、蔵元サイドにセッティングしていただいた懇親会の会場へ移動。
佐野屋担当の営業さんと、できたばかりの「鶴齢」の無濾過生原酒で、乾杯!
雪国の団らんには欠かせない囲炉裏。
雪で冷えきった身体も、囲炉裏の炭火が優しく温めてくれる。
そして炭火の周りには、串を通した魚!
じっくりと焼かれている川魚を見ていると、焼き上がるのが待ち遠しくなってしまう。
塩化粧がついた、ふっくら焼き上がった川魚(ヤマメ)と、新酒でできたばかりの「鶴齢 特別純米 山田錦」がうまかった!
南魚沼市は群馬県との県境があり、海から遠いため、魚と言えば鮎や山女魚といった川魚が一般的。
「鶴齢」で人気の高い純米吟醸には、栃尾の油揚げ。
越後の郷土料理は数あれど、栃尾の油揚げは新潟B級グルメとして知る人ぞ知る人気メニュー。
厚揚げと見間違うばかりの巨大さと、外はパリッと適度な弾力があるのが特徴だが、こいつは「揚げたて」が一番うまい!
人気店の「揚げたて油揚げ」ともなると、昼過ぎには完売となるそうだが、現地に行ったらぜひ「揚げたて」をいただいてほしい。
魚沼に来たからには、コシヒカリを食べなければ帰れない!
悪天候の中、鶴齢のスタッフお勧めのおにぎり屋に立ち寄った。
「愛と義のおむすび」と書かれたのれんが目を引くが、ここ南魚沼市は上杉景勝と直江兼続が幼少期を過ごした地であり、直江兼続の兜の前立てが「愛」の一文字であることに由来して、この名前で販売されている。
このお店の一番人気は、米の魅力がダイレクトにわかる「具なし」の塩むすび。しかし本日分は既に完売となっていた。
代わりに選んだのがこの鮭おにぎりなのだが、あまりのうまさに思わず2つ目を手にした店主吾郎。
日本一の魚沼コシヒカリを堪能できて、大満足でした。
最後に魚沼地方ならではの食「へぎそば」も紹介させていただきたい。
へぎそばの特徴は、「へぎ」と呼ばれる四角い器に盛りつけられていること、そばを小さな束にして「へぎ」に盛りつけていくこと、そして蕎麦のつなぎに布海苔という海藻を使っている点が挙げられる。
新潟ならではの数々の美食、魚沼ならではの美味しい米と素晴らしい水。
それらに囲まれて造られた鶴齢は、地元はもちろん県外で誰が飲んでも「美味しい」と思わせて当然。
今回の訪問でそのことを強く実感した。