澤屋まつもと 松本酒造 (まつもとしゅぞう)
●日本酒の銘醸地「伏見」を象徴する美しい酒蔵「松本酒造」
京阪電車の伏見桃山駅を降りるとそこは商店街の入り口。
伏見大手筋商店街のアーケードを下り、商店街を抜けてからしばらく歩くと右手には伏見酒造組合の建物。
濠川(ほりかわ)に架かる大手橋を渡り更に歩くと徐々に煉瓦で作られた煙突が見えて参ります。
この登録有形文化財にも指定されている建物が今回ご紹介する「松本酒造」です。
「松本酒造」の西を流れる東高瀬川の堤防からは煉瓦造りの建物や仕込み蔵が一望出来ます。
春には菜の花が河原一面に咲き、酒蔵の美しさが更に際立ちます。
この風景は日本酒の銘醸地、伏見を象徴する景色であり、かつて時代劇の撮影が行われたことでも有名です。
それでは、これより「松本酒造」に付いてご説明いたします。
●江戸時代後期に創業、長い歴史を持つ老舗蔵
「松本酒造」の創業は江戸後期の1791年(寛政3年)。
江戸時代の三大改革の1つ、寛政の改革が松平定信によって行われていた頃のことです。
初代蔵元松本治平衛が京都市東山区、八坂弓矢町にて屋号「澤屋」を創業したのが始まりとされています。
1922年(大正11年)、7代目松本治平が酒造りに欠かせない良質な水を求め、現在の地、京都市伏見区横大路三栖大黒町に酒蔵を移設。
1949年(昭和24年)に「松本酒造株式会社」に組織変更。
現在に至っております。
●自身を「繋ぎの蔵元」と称する11代蔵元の前職は「世界のホンダ」
現在の蔵元、松本総一郎氏は8代目蔵元、松本梭(まつもとしゅん)氏の長男に当たる方です。
総一郎氏は異色の経歴の持ち主でもあります。
前職は何と、「世界のホンダ」と称される輸送機器メーカー「本田技研工業株式会社」
「Honda」で広報部に所属し、世界最高峰のモーターレース、F1の魅力を伝えるプロモーション活動に携われていました。
蔵元のお話を伺っていると、ホンダエンジンと共にF1を戦って来たアイルトン・セナやネルソン・ピケを始め、マックス・フェルスタッペンや角田裕毅など、歴代のドライバーの名前が次々に登場。
何と、ネルソン・ピケは「松本酒造」に来られたこともあるのだとか。
小学生の頃からF1好きである私にとっては興味深い話の連続。
蔵元の話をアテに「澤屋まつもと」が1本飲めそうな程に。
ちなみに、蔵元は「Honda」の創業者、本田宗一郎氏と字こそ違えど名前が同じ。
ご挨拶の際、この話で盛り上がったことは今でも鮮明に覚えております。
「Honda」で定年を迎えられ、2021年10月、「松本酒造」の11代蔵元に就任された総一郎氏が話の中で何度もおっしゃるのが「繋ぎの蔵元」
先代から「Honda」で長年経験されたことを生かして蔵の体制を整え、次世代に繋ぐべくバトンを引き継がれました。
ホームランは決して狙っていない。
内野安打でもポテンヒットでもいい、泥臭く塁に出てクリーンアップに繋ぐ。
そんな蔵元でありたいと蔵元は語られます。
蔵の宝である蔵人が働きやすい環境を整えるべく、積極的な設備投資や働き方改革、更には国際的に広く普及している食品衛生管理の手法の1つである「HACCP(ハサップ)」認証の取得に向けても積極的に取り組まれています。
●次世代に繋ぐ究極の食中酒
「松本酒造」が目指す酒は食文化に寄り添った究極の食中酒。
純米酒の限定流通ブランド「澤屋まつもと」はサラッとした飲み心地で飲み飽きせず、料理に優しく寄り添ってくれます。
「澤屋まつもと」が大きく躍進するきっかけになった人気シリーズ「守破離」は程よい米味と発酵由来の炭酸ガスの爽やかさで幅広い層から支持を得ています。
蔵元は、この料理にはこの酒、というよりは、1本で通せる酒を理想とされています。
原料米と水の良さを十二分に生かした万能な酒。
これが「澤屋まつもと」であり究極の食中酒の姿です。
江戸後期から脈々と受け継がれた酒造りを次世代へ。
異業種で培った経験を生かし、「繋ぎの蔵元」は蔵の体制を盤石な物とするべく邁進されています。
銘醸地伏見の地酒「澤屋まつもと」をよろしくお願いいたします。
(文章:金巻 忍)
地酒.COMは蔵元との太いパイプにより、
商品の安定供給を受けています。
写真は「松本酒造(まつもとしゅぞう)」の11代目蔵元、松本総一郎氏と地酒.COM代表の佐野吾郎です。
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