庄内空港から車で約30分。
周囲を田んぼで囲まれた、のどかな土地で「白露垂珠」醸造元、竹の露合資会社は酒造りを行なっている。
この方が「竹の露」の蔵元兼製造責任者、相沢政男(あいさわ まさお)代表。
蔵人と共に酒造りに取り組む傍ら、夏は自社田で自ら酒造好適米の栽培にも取り組んでいる。
蔵に着くと、既に蔵人が仕込み作業に取りかかっていた。
竹の露の蔵人は全員蔵の近隣に住む農家さんで、美山錦や亀の尾などの酒造好適米を栽培しているそうだ。
放冷機から流れて来た蒸し米を受け、手前の布に移す。
冷めないように米を布で包み、麹室へ運ぶ役の蔵人に手早くバトンタッチ。
重量を素早く記録後、早足で麹室へ蒸し米を運ぶ。
こちらは麹室。
先ほど引き込んだ蒸し米を広げ、麹菌にとって理想の温度になるよう手入れを行なう。
種付け作業を行なう本木杜氏。
黄緑色の麹菌が米の上で舞い踊る様子がおわかりいただけるだろうか。
種付けが終わり、広げていた米の温度を保つため一箇所に集める。
麹室での仕事と平行して、この日は留仕込も行なわれていた。
相沢代表が蔵人と交代で櫂入れを行なう。
もろみの品温が高めだったため、氷を投入して温度を下げるワンシーンも。
発酵中のもろみのサンプルを採取するワンシーン。
ここで採取されたサンプルは、酸度や日本酒度などの計測に用いられるのだが、竹の露では東京滝野川にある酒類総合研究所に依頼して、高度な機器でなければ計測できない詳細なデータ分析にも力を入れている。
全ての蒸し米の仕込み作業が終わったかと思いきや、すぐさま翌日の仕込みに使う米の洗米作業に取りかかる。
洗米後、吸水させた米の吸水率を確認するワンシーン。
この日の洗米作業は蔵人2名のみで行なわれ、相沢代表も本木杜氏も立ち会っていない。
各部署の頭が持ち場をしっかり把握しており、作業が重なった時でもこのように最小人数で作業を行なえる体制が出来上がっている。
この日の午後、麹室では先ほどの床麹の部屋のさらに奥で、「一升盛麹蓋法」の麹を扱う作業が行なわれた。
麹の製法にこだわる竹の露にとって、この奥の部屋での作業は「神域」に等しい。
今回は店主吾郎も部屋の外で見学のみとなった。
しかし今回は特別に、撮影を行なう日本酒スタッフとカメラの持ち込みが許可され、今回の作業風景の撮影が実現!
竹の露のスタッフは、相沢代表をはじめフレンドリーな方ばかりなのだが、麹室での作業中は真剣そのもの。
声を出すのもはばかられるような張り詰めた空気の中、手早く作業をこなしていく姿に鬼気迫る迫力を感じた。
麹室の作業を終えたところで、恒例のスタッフ集合写真をお願いした。
竹の露では麹室での作業には、全員白い作業着と手ぬぐいの着用を必要としており、室内で撮影を行なった日本酒スタッフもこの作業着を着用して入室した。
白い作業着をまとうと、酒造りは神事であることが伝わって来るようで、身が引き締まる思いになった。
こちらは昨日出来上がった麹を安置している「枯らし場」。
奥室では厳しい表情だった相沢代表が一転、子供を見るかのような優しい表情で麹を見つめている。
こちらは槽場でのワンシーン。
前日にしぼった酒の粕はがしが行なわれていた。
この粕は「白露垂珠 大吟醸」の酒粕と聞き、店主吾郎も興味津々。
吟醸香が漂う中、乳白色の高級な大吟醸粕が手際良くはがされていく。
こちらは仕込みを行なう蔵とは別に建てられている、貯水タンクが並ぶ蔵。
これらのタンクはクーリングタワーとして使用されており、地下から汲み上げた水はこれらのタンクを通し、上澄み部分のみを仕込み水として使用している。
タンクに満々と貯められている水と、その透明度の高さに驚く吾郎。
タンク底の淵に見えるエメラルド色に輝く部分は、水に含まれていた石英(クリスタル)が沈殿したもの。
調査によると、この地下水は地底300メートル級の深さに広がる石英(クリスタル)の地層に貯まっていたもので、約5000年かけて石英層で磨かれた無菌の超軟水とのこと。
地層や地質の資料の前で、詳しい説明を聞く店主吾郎。
相沢さん曰く、この水は深層地磁気を帯びている「天然波動水」とのことで、過去にNHKの番組でも取り上げられたことがあったそうだ。
人智では到底及ばない、地球からの尊い贈り物。決して大げさな表現ではない壮大なストーリーが、この水には秘められている。
竹の露では、そのクリスタル超軟水を、無料で一般開放している(!)。
相沢さんの計らいで、蔵の駐車場の横に井戸を設け、蛇口をひねればいつでも飲む事ができるように整えられている。
蔵の中庭部分に残されている、一号蔵と呼ばれる蔵と赤煉瓦の煙突。
羽黒山の宿坊で見かける「魔除けの引綱」がかけられているが、この建物こそが羽黒山の麓で酒造りを行なっていた蔵を移築してきた当時そのままの蔵であり、「竹の露」の原点。
この蔵の中には現在も優秀な家付き酵母が息づいており、生もと造りを行なえば創業当時の酒ができるとのこと。
蔵の屋上に案内してもらい、蔵の周囲を一望。
白銀の田園風景が広がる絶景をバックに1枚。
ここからは蔵を出て地域の紹介に移るが、ご覧の通りの雪景色。
ところどころ畦が見え、かろうじて田んぼであることが確認できる。
相沢さんによると、映画「おくりびと」のワンシーンで、この辺りが撮影に使われたそうだ。
続いて庄内平野を一望できるスポットに案内してもらい、鶴岡の風景を一望。
天気がよければ、月山の雄大な姿が見えるそうなのだが、この日は見る事ができず残念。
さらに車で移動して「庄内映画村」に案内してもらったのだが、この辺りにある映画村のオープンセットは雪で埋まり、大雪原に姿を変えていた。
「庄内映画村」では、「おくりびと」の他にも、映画版「おしん」や「スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴ」「るろうに剣心」といった作品の撮影協力を行なっており、資料館ではそれらの映画で使用された衣装や小道具、台本などが展示されている。
鶴岡市内に場所を移動し、鶴岡城跡や藤沢周平資料館などを案内してもらった後、「致道館(ちどうかん)」に到着。
致道館は江戸時代に建てられた鶴岡藩の藩校で、国の史跡に指定されている。
致道館は文化2年(1805年)に創設され、当時は学舎や寄宿舎の他にも、武術や馬術の稽古場もある、広大な敷地だったそうだ。
学校給食も実はここ鶴岡が発祥の地で、鶴岡は古くから「教育」に力を入れている地域なのだ。
鶴岡市内から羽黒山に向けて車で移動すると、県道の真ん中に鎮座する羽黒山の大鳥居が見えてくる。
アスファルトの車道が鳥居の下を走っているが、これより先は霊山出羽三山の神域である。
(羽黒山の写真集はこちらから。)
ここから先は、「鶴岡の食」をご紹介したい。
まずこちらの麺は「麦きり」と呼ばれる、うどんに近い食べ物。
うどんとの違いがよくわからないので調べてみたのだが、「麦きり」とは小麦粉をこねて作る手打ちの生麺で、ゆでて洗って、冷たいままつゆをつけて食べるもの、と定義されているそうだ。
鶴岡地方は県内有数の蕎麦の産地。
市内には手打ちそばの店が多く並び、蔵の近くにも相沢さん行きつけのうまい蕎麦屋があり、味も量も満足させてもらった。
鶴岡の蕎麦屋に入ると、「麦きり」と「蕎麦」どちらにしようか迷ってしまいがちだが、そんなときは店主のように両方頼むのが大正解(笑)。
相沢さんにセッティングしてもらった懇親会会場にて。
ウルトラ33をはじめとした「白露垂珠」の高スペック商品がズラリと並ぶ豪華な顔ぶれ!
乾杯の酒は、この日の最高級酒「ウルトラ33」!
相沢さんに酒を注いでもらう店主吾郎。
「白露垂珠」の良さは、どの酒もつるりした飲みやすさがあり、米の旨味が凝縮されているかのような充実感ではないだろうか。
そしてあらゆる料理に対応できる懐の深さが特筆モノ。
魚料理でも肉料理でも、迷ったときには「白露垂珠」を用意すれば事足りてしまうのだ。
佐野屋では長い取り扱いとなる「白露垂珠」。その魅力を改めて再発見させてもらった。
ぷっくり膨らんだ牡蠣の白味噌鍋と、白露垂珠の大吟醸。
今回和食を中心にさまざまな料理を用意してもらったのだが、相沢さんから「この料理にはこの酒が合いますね」と、各料理それぞれに合う酒を説明していただいたことがとても印象に残っている。
自身が造る酒を知り尽くし、そして出て来る料理の味を見極める味覚がなければ、的確なマリアージュを指摘することはできない。
蔵元の鋭い感覚と知識の深さ。白露垂珠の秘密はここにも隠れているのではないだろうか。
羽黒山の休憩所でのワンシーン。
団子のように見えるかもしれないが、これは団子ではなく「玉こんにゃく」。
「玉こんにゃく」はかつて「秘密のケンミンSHOW」などでも紹介されたことがある、山形の郷土料理の1つ。
串で刺したものを出汁で煮込んだシンプルなものだが、「芋煮」や「おでん」にも使われるなど、山形県民のソウルフード的な食べ物。
ちなみに山形県は、こんにゃく消費量日本一の県でもある。
最後に庄内空港にてお見送りのワンシーン。仲の良い相沢代表ご夫婦と記念撮影。
いよいよ帰りの飛行機の搭乗手続きが始まり、これにて解散。
たいへん多くの写真枚数からお解りのとおり、今回は酒蔵訪問史上でも屈指の充実感と密度の高い訪問になりました。